【植物生命科学科で扱う実験生物】No.12 文学作品での薔薇 

   植物生命科学では、植物はもちろん、微生物から昆虫まで(中には動物を使ってのデータも!)さまざまな生物を実験に用います。このシリーズでは、各研究室で扱っている生物を順番に紹介していきます。


梶井基次郎1901-1932)はかつて「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と書きました。桜の美しさに魅了されるとともに恐怖した梶井は、桜が地中に横たわる屍体から流れ出す「水晶のような液」を養分としているからこそ、こんなにも見事に咲くことができると想像したのです。

日本では屍体が埋まっているのは桜の樹の下ですが、さてイギリス(アイルランド)では? イギリス(アイルランド)では、ひょっとすると薔薇の花の下に死者が眠っているかも知れません…。

というわけで、今回は趣向を変え、エリザベス・ボウエン(1899-1973)というアイルランド人作家の短編物語「あの薔薇を見てよ」(1941)に出てくる薔薇について紹介します。この季節にふさわしいちょっと怖い話になるので、ブルっと震えて暑気払いとしていただけましたら幸いです。

「あの薔薇を見てよ」の主人公ルウは、恋人エドワード(実は妻が別にいる!)と出かけたイギリス東部への週末旅行の帰り道、ひょんなことから色とりどりの薔薇が咲き乱れる家にひとり取り残されることになります。その家にはメイザー夫人とその娘ジョゼフィーンが世間からは隔絶された生活を送っているのですが、ジョゼフィーンは背骨を傷めて寝たきりの状態です。どうやらそれは父親のせいらしく、その後父親は家を出たきり二度と戻らなかったと言うのです。ルウはそんな彼女らの話を聞きながら庭の見事な薔薇を見やり、「メイザー氏があの薔薇の根元に横たわっている……」と不気味な幻想と戯れます。

メイザー氏は娘を傷つけてしまったことに耐えきれず家を出たのか、それともメイザー夫人の手によって庭に埋められてしまったのか…。

ルウの幻想の真偽は謎のまま、この物語は終わります。ラテン語には「薔薇の下で、秘密に」を意味する‘sub rosa’という言葉があるのですが(古い習慣として、食堂の天井に薔薇の花を彫り、宴席での話は一切他言しないことを求めたことに由来します)、まさにこの言葉の通り、メイザー家の庭に咲く薔薇の下は絶対の秘密なのです。

薔薇は愛と美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)や聖母マリアの象徴であり、王家・国家の紋章であり、教会建築にその形象が用いられたり、文学作品にも古くか繰り返し描かれたり、西洋では特別な花とみなされています。それはちょうど日本における桜と同じようなものでしょう。

西洋と東洋、薔薇と桜。遠く離れた国に生きる二人の作家が、美しい花に死を連想するという共通の感性を有しているのは大変興味深いことです。

龍谷大学瀬田学舎の美しい木々や花々の下にも、人知れず何か(誰か⁉)が埋まっているなんて噂があったりなかったり…。怖いですね~。(そんな噂はありません。)

梶井基次郎「桜の樹の下には」(『梶井基次郎全集 全1巻』筑摩書房, 1986年
エリザベス・ボウエン「あの薔薇を見てよ」(『あの薔薇を見てよ』太田良子訳, ミネルヴァ書房, 2004年)

(垣口)