新しい研究室名称

 それぞれの研究室はこれまで教員の名を冠した(例えば、山本研究室、山本ゼミ)といった呼称でした。
 これではその研究室の目指すところがわかりにくい、という意見があり、それぞれの研究室の分野を冠した名前を考え、本日、そのプレートが貼り付けられました。

 植物生命科学科では、下に示すようになりました。

 私の研究室では、環境変化に応答しようとする生物の生き様を調べます。変化を感知すること、対応しようとすること、それぞれは生物を特徴付ける性質の一つです。それを掘り下げたいと思っています。

 各々の研究室の目指すところを名称から感じていただければと思います。










(古本)

杉岡先生、ありがとうございました

農学部設立以来の学科のメンバーで、文学部との交流人事でお世話になっていた杉岡先生が4月から文学部に戻られることになりました。


「『いのち』を扱う農学部なのだから、仏教的な視点をきっちり教育してほしい」というのが、農学部設置当時の大学執行部の想いでした。どの学部にも設けられている「仏教の思想AおよびB」という科目に加え、農業の現場と仏教を架橋する科目、「食と農の倫理」という本農学部独自の必修科目を用意しました。

 農学部の4名の教員と仏教関係者4名からなる担当者によって、「遺伝子組換え技術と農業」「環境問題と農業」「食と安全」、そして「飢餓と飽食」という現代農業を取りまく難しい社会課題を論議するオムニバス講義です。科学を正しく理解し、現代において人や社会に寄り添いながら、どう振る舞うか、を語ることになります。

 杉岡先生には、「仏教の思想」に加え、チャレンジングなこの講義の取りまとめをお願いしておりました。

 この科目に加え、他の学内委員会においても、特に設置したての農学部にとって精神的な支柱でした。たいへんお世話になりました。これでお別れではなく、学内でまたお会いできるのは嬉しいことです。これまで本当にありがとうございました。
(古本)


土壌のまわりの物語 「丹波の黒」


 大河ドラマで「麒麟が来る」が始まりました.戦国武将の明智光秀を主人公とした物語です.一般には主君である織田信長に反旗を翻した「裏切り者」の悪名高い光秀ですが,光秀が治めていた京都・福知山の地では城下町を開拓し、善政を布いた領主として慕われている(福知山市ホームページ)そうです.この福知山市には,近畿には珍しい「黒ボク土」があると聞き,訪ねてみました.「黒ボク土」というのは,一般に火山灰が母材となった土壌で,有機物が多く蓄積するため「真っ黒」に見えます.近畿圏には火山が少ないので,あまり見かけません.福知山市の「夜久野」という地域に近づくと,道すがら畑の土壌が「茶色」から「黒く」なってゆくのが分かります.黒ぼく土の母材は,通常は火山灰ですから,火山は何処だろうと探すと,すぐ近くに「田倉山(宝山)」というスコリア丘がありました.黒ボク土は田倉山のスコリア堆積物の上に九州から飛んできた姶良丹沢火山灰(AT)を挟んで発達しているそうですから(小滝,2004),母材の火山灰給源には議論があるとは思いますが見事な黒ボク土分布地帯です.「夜久野」という地名も,黒々とした土が広く分布しているのを夜の闇に譬えたかのような美しい名称です.夜久野の名産品は黒大豆とそばです.大豆は土壌からの酸素要求量が高く,通気性の良い黒ぼく土に有利な作物ですし,そばは火山灰に含まれるアルミニウムと結合した養分を溶かして使う能力の高い作物ですから,当に「適地適作」というところでしょう.丹波には「黒」を冠した名産品が多くあります.「丹波黒豆」,「丹波黒牛」,「丹波黒鶏」,「黒」と付くと特別な感じがして美味しそうです.また,夜久野はかつて漆の名産地で光秀の甲冑にも黒漆を使った豪勢な一品が伝えられています.光秀に「黒」というと「本能寺」を詠った頼山陽の有名な漢詩を思い出します.



本能寺 溝の深さ 幾尺なるぞ

我が大事をなすは今夕にあり

藁粽手にあり藁を併せて食らう

四簷の梅雨 天墨の如し



本能寺に向かう光秀の心も墨のごとく黒かった(特別だった)のでしょうか.
(森泉)

文献;小滝(2004)地球科学5817-24
黒ボク土の畑と田倉山(福知山市)